失われた、9番曳山。
曳山の歴史は、文政2年(1819年)に始まります。刀町が「赤獅子」を唐津神社に奉納したのが最初の一台でした。
それから明治9年(1876年)までの約60年間で、町々は競うように15台を生み出します。和紙を数百回張り重ね、漆を塗り、金銀を施す。高さは7メートル余り、重さは2〜4トン。町の人たちが財産と誇りを注ぎ込んだ、動く工芸品です。
その9番目に生まれたのが、紺屋町の「黒獅子」です。紺屋町は、藍を染める職人たちの町でした。漆黒の獅子頭を戴いたその曳山は、明治の中頃まで町を巡っていたと伝えられています。
黒獅子が最後に町を巡ったのは、明治22年(1889年)のこと。それきり、曳かれることはありませんでした。
曳山は、一台を維持していくだけでも大きな負担がかかります。その重みに耐えきれなくなったことが、失われた理由だと伝えられています。
15台のうち、失われたのはこの一台だけ。唐津くんちの曳山行事は国の重要無形民俗文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産にも登録されました。
それでも、9番の席は137年間ずっと空いたままです。